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エドワーディアンとレース��
〜近世マシーンレースとその歴史を楽しむMIYACOのMIYAKOコラム
エドワード7世 即位の式典 1901年1月22日
長いヴィクトリア時代の後のエドワーディアンの はじまり 60歳の国王即位

ぜ〜んぶ エドワード7世とアレクサンドラ 長い皇太子時代からジュエリーになったり、マグカップになったり、ビスケットの箱になったり。ものすごい人気?というより、印刷技術も発達し、以前の国王よりそれはそれはたくさんのアイテムが貴族社会だけでなく富裕な市民層だけでなく、一般の人々が手にとれるものにどんどん登場なさったのでしょう。当時から王室グッズ大人気!
前回紹介しました、THE LACE CENTER harajukuにあります、すてきなちいさなジャガード織りの肖像画は、1900年前後のものとおもわれますが、英国発祥のリバーレースの発展に欠かせないフランスのジャカードマシーンの発明と発展、ジャカードマシーンはエドワード7世即位の100年前、フランスリヨンの織物師の息子ジャカールの発明。
そのころはまだ英国で単純なネットを織る機械しかありませんでした。
でもあの6角形のネットを細い糸でそれまで手作りしていたことも現代人にとっては特異なほどの卓越した技術。それを英国人ジョーヘスコートにより機械で織れるということも大変な発明。
早くから靴下編み機を使い、産業としていた英国ノッティンガムで、次にはジョーンリーバー氏によりリバーレース機が発明され、少しずつ柄がおりこまれるように・・それからもう少し後、ジャカード織り機とリバーレース機の技術が融合し
本格的な複雑で美しいリバーレースができるようになり、ノッティンガムで独占的に生産されヨーロッパ各国へ販売され… 当時のレース商人達は忙しく豊かな時代をすごしていたようです。(現在のこの街にはその面影がどんどん消えてしまい さびしいこのごろ)
1801年に発明のジャカード織り機。1850年代にはもうこんな精巧な絵画のような シルク織物がつくられるようになりました。

THE LACE CENTER harajukuのエドワード7世のジャカード織りは、さらに40−50年後のものと思われます。
美しい古いレースにもため息がでますが、このジャカード織りを初めて目にしたとき、銅版画だとばかり思っていました。すごいですね。テキスタイル関係の方にお見せしてもすぐにジャカードと見抜かれる方はまだ出会っていません。御年輩のフランス骨董関係の方などは見抜かれますね。
最近は、デジタルにジャカード織りができるようになり、当時のように何枚もの 紋紙をつくらなくとも生産可能になっているようですが、
やっぱりむかしのものは美しい。現代の緻密なものと100年前の緻密なものをくらべてみますと、やはり100年前のものが美しく趣があります。
製作にそそぐ時間、人の思い、時代の空気、いかに美しいものをつくるということが、いかに早く作ること、いかにコストをさげるか、いかに多くの人にうけいれられるかより、ずっと大切だったからでしょうね。
きっとそう、より美しいものを作る事のほうが重要であったにちがいありません。
しかし、手でつくるより早くたくさん作ることが目的で機械が発明されたこともたしかですね。
当時としてはハイスピード技術ですものね。

当時の男のロマンがわかるような気がします。当時レース生産にかかわった男性は
とても地位が高かったのです。エリートです。
ノッティンガムにある瀟洒な庭つき1戸建ての住宅街、レンガづくりの大きなお家、かわいい大きなお家、ロンドンの横に長ーくつながった高級フラットとも地方にある領主様の家ともちがいます。この住宅は、当時羽振りのよかったいわゆる富裕市民層であったレース商人達の住まいということです。
とんがった屋根と煙突。ピーターパンが飛びまわる背景にぴったりな街。
「ピーターパンの作者はこの街がふるさとなんだよ」と
NOTTINGUAMのCLUNY LACE社 9代目オーナーCHARLS MAISONがおしえてくれました。
100年前のレースをまた楽しみましょう。エンブレースに手作業を加えたものです。おそらく小さなハンドルミシン刺繍機でつくられたものではないでしょうか。このレース達は、1908年のレースサンプル帳の中のものです。
大型のエンブロイダリーレース機は1910年スイス サンガレで発明されたということですので。
